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『ブンガク・文学・ぶんがく展』振り返り

http://artsoup.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

「黒い川」という名前の詩画作品をメインに展示。というより空間ごと装飾。

だいぶ散らすのが定番になってしまった。

2016年の初個展に合わせてつくった「色葬観」という詩画集収録の、一番最初の作品。

文学と言えば文字、文字と言えば「黒」というイメージから、

「この作品を展示に採用しよう」と選択。

順路は階段側からでした。ぐる〜りと読みます。

「黒い川」の中で登場する原画作品「もう守ってもらえない」(青い横顔の子)

「オブラート」(全体的に紫の配色の、手が沢山ある子)

近頃よく色々なところで登場している「オブラート」ちゃん、

やっぱりこの作品にも元になった長めの言葉の塊がある。9月個展の時 にはそれも。

その他、「黒い川」に近い配色の作品「行き過ぎた思考の漏洩Ⅰ・Ⅱ」も展示。

まちがっていなければ、初めて長めの言葉がついた作品。

それまでは、タイトルとサブタイトルというか、キャプション文というか。そんな感じだった。

それぞれ、参考写真や手描きの線画も。

夜の様子。暗いのも好き。

近頃、「本当はもう捨てるはずのもの」を少しだけ残して、それに手を加えてみる、

ということに意識が向いていて。今回はそれの試み。実験。

これが、こう。

新聞紙と、頂いたお菓子のクリアパックと、トレーシングペーパーと、書き損じ綺麗め紙。

を、それぞれ切り刻んでゆらゆら〜。

自分のiPhoneで 動画 も撮ってみた。

写真家のタロウさん( Twitter@taro_VR )がお写真を撮って下さいました。

きちんとした技術をお持ちの方にきちんとしたカメラで撮って頂くとこんなに綺麗。感動……。

タロウさんの手に掛かればかっこよくなれる。絶対の安心感。

て 。

***

「黒い川」-おわりⅠ

川とタイトルで出しているけれど、

実を言うと肝心な川を見ていて思いついたわけではなかったりする。

とある時期の梅雨あたり、帰り道に書いた。環境が変わったばかりの頃。

この詩を思い出す時、実家の近所の大通りが頭に浮かぶ。

まったく繋がりのなかった原画作品がお話の中で繋がる。

押し殺してきた 物、事、人、に ついて。

振り返る時にちらっと気配のする「モノ」について。

なにかしていれば、当然拾い上げられずに誰の目にも触れないまま、

ないことになっているものって山ほどあって。

だけどそれって、例えば創作だけに限らないことだろうとも思って。

そうして限られた部分しか光が当たらずに、

眩しい部分だけしか存在していない、なんて錯覚。

という想像。

その有り難い錯覚によって、巡り巡って形が成り立つんだろうとも思う。

なにもかも受け止めていたら、脆い私達人間なんて簡単に持たなくなってしまいそうで、

だからきっと無意識に恐れて、回避しようとする。

片側しか目を向けられないことって本当に多い。大抵過ぎてしまった後に後悔する。

過ぎてしまってから、「なんで気付かなかったんだろう」って。

いつだってそんなことの繰り返し。

ひけらかさないように、薄暗いところでずっと、動いていたの気付いている。

本当は今でもずっと、潜むだけで動いているの知っている。

きっと一部しか見えないようにできているんだね。

そうでなければ滞りなく息してはいけないものね。

それぞれの視界って広さが違うのだろうね。

どんな言葉を並べたとしても込めたとしても、

やっぱりいつかは千切れて散って塵になる。

ぜんぶを拾えることができたらどんなにいいだろう。

そうすれば完全でいられるから傷つくことなんてない。

後ろにも目があればどんなにいいだろう。

だけどそんなところに目があったらみんな零れてしまうだろう。

選ぶことの連続だって云う。選んだのがそれだった。

だけど次の瞬間には反対側を選んでいるかもしれないなら、

「絶対」ってなんて言葉だろうと思う。

選択。連続。過程。犠牲。生きていく為に気付かないふりしてる。

知らないふりして、そのくせいつだって誰かの背中指差して、

負けないように息をしているの。簡単に「知らない」とは云わせない。

今居る「其処」は、見えない触れられない死体の山だ。

手を汚さないままで死に絶えられる生き物なんて、どこにもいやしないんだ。

「聖人になりたい」だなんて、とんだ寝言もいいところだ。

それでも口に出す、「綺麗事」を、削って苦しい思いを押し殺して、

疲れきってくたびれて、通りすぎた後で「おまじないになれたんだ」と知る。

おまじないも呪いも紙一重だ。毒と薬と同じだ。

根っこの気持ち、使い方が違うだけ。「私達」なんて簡単にどうにでもなってしまう。

だから気を付けないと。時には自分まで疑ってみないと。

「今の私」は『誰』だろうって。「目の前の貴方」は『誰』だろうって。

油断していたら、忍び込まれて誰かになっちゃうよ。

後ろにいるよ、気を付けて生きて。

お願いだから、あんまり必要以上に痛い思いしないでよ。

尊いの、それでいてずるいの。そんなものでしょう、生きているのって。

それだって言葉の選び方次第なら、言葉って一体なんだと改めて表せる。

昔誰かが言っていたこと、繰り返し思い出している。

いつだって後悔の連続。いつだって今更の話。

だけど簡単にそれにひれ伏してしまうわけにはいかないから。

大切なものは時として武器にもなるということ、よく思い知った方が良い。

無かったことにしない、ならない、できない。

いいこともわるいことも「みんな」その体の中。

巧妙に潜ませて息を続ける。

「私」が「底」にいたこと、楽に忘れてくれるな。

思い知って背負って重たいまま、そのまま何処へでも いってしまうがいい。

キーワードは「すべて」。

ちょうどいいからそのまま、頭から。

「黒い川」-おわりⅡ

例えば あの

色 。

改めて考える。

「貴女」のこと、頻繁に思い出している。

「黒い川」-おわりⅢ

***

お言葉に甘えさせて頂きました。

この空間を使わせて頂けて良かったです。

少しは展示会や誰かのお力添えになれていたらと。

形のあるイメージより、文字って控えめに感じられやすいのかもしれない。

だけどそれも表しようなのではないかと考えていました。感じました。

見えないものをどうするかとなった時、まず手始めに。

例えば私にとっては白黒の。

あれもこれもそれも全部が大事。

貴重な期間でした。「ありがとう」それだけです。

私はそれだけ。繰り返し言う。ありがとうございました。

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